12月ももう終盤に入っていた。それなのに麓では少し前に一度積もった雪もほとんど溶けてしまっている。アプローチの雪も相当少ない。だがそれでも登山口の手前からすでに先行者のトレールはなかった。しばらく誰もここには入っていないらしく、残されていたのは大小の動物の足跡だけだった。

他人のトレールの無い純粋な雪山登山。これはその時の心算によって幸運にも不運にもなるのだが、どちらにしても完遂できれば、山ヤの端くれとしてはこの上ない大きな嬉びだ。
最後の急登を終え木の間を抜けた。すっきりした雪の斜面にでて、そこをほんの少し登ると、突然手品のように広い雪原が現れた。

雪原の縁から、いきなり急斜面が削げ落ちていく、この雪原の下はすべて湿原だ。標高2000m近い山の山頂すべてが、まあるく広い湿原なのだ。
写真:湿原の縁から削げ落ちる山肌

会津田代山の冬季登山に最初にトライしたのはもう27年も前になる。そのときはかなり間抜けなアクシデントに遭って途中で断念した。その後は無雪期や残雪期に何度か登っているものの、冬季はたしかそれきりだったと思う。
今回は、どうしても冬の山頂湿原の全天球写真を撮りたいと思い、前モデルより格段に画質が向上したと評判のRICHO THETA Sを手に入れて家を出た。

福島県は、山脈と高地によって隔てられた、気候も文化も違う三つの地域で構成されている。中でも日本海側の豪雪地帯寄りに位置する会津地方の山々は、無雪期なら日帰りできる比較的手頃な山が多いにもかかわらず、積雪期には登山口へと続く長い林道のほとんどが雪に埋まるため、雪が締まる前の厳冬期は特にチャンスが少ない。だから麓に雪の少ない年は狙い目だ。
DSCN1683

他の新しい機材の試験やら今季の足慣らしの意味もあって、この山にはどう考えても使いそうにない装備まで背負ったくせに、出がけに当然あると思い込んでいたワカンがどうしても見つからず、結局はツボ足で登ることになった。

これもあって、頂上が見え始めることから無雪期なら「もう着いたも同然?」と何度登ってもついうっかり思ってしまう最後の500mに、たっぷり1時間20分はかかり、全体で無雪期の倍近くの時間がかかったものの、すべて自力ラッセルで頂上湿原まで到達した。
 まだ雪が柔らかく、ツボ足では踏み抜きやすい。このため湿原内では片方のスノーバスケットを外しゾンデ棒として細い木道を探る。これが時間がかかる。

若いころからの長い長い宿題の一つを終えたことを実感したのは、避難小屋で飯を食って一息ついたときだった。それまで頂上に達することと撮影することばかりを考えていて、この登山が宿題だったことをほとんど忘れていた。

あれから長い時間が過ぎた。当時と違って小屋は新しく快適になり、時期によっては綺麗なトイレも使える。麓の集落まで新しい道路が開通し、事実上混浴だった共同浴場も男女別になったらしい。林道はいつの間にか県道に格上げされ、入り口手前までは携帯電話で通話もできるし、もし忘れ物をしたらスマホでAmazonに注文さえできる。(受け取れるコンビニはまだ無いけれど)

舗装化が進むとともに、都会の常識も道の奥まで浸透した。河原の思い出のキャンプサイトは消滅し、かつてあれほど花を咲かせたバイクや車による林道ツーリング文化も、今はすっかり廃れてしまった。

そして親の世代が子どもらに、その場の自然物を利用して生きる心得を伝える機会だったキャンプや芋煮会も、その多くは自然の河原から、板の壁が布に変わっただけの快適なキャンプ場での真似事に変わってしまったみたいだ。

でも、記憶の中のあの湿原は、今もこの山頂にある。

他に人は誰もいない雪の頂で、
「私たちの世代が消えていなくなった後も、長くこのままであってほしい」
私はそう強く願った。